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1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件がおきました。警察は身代金を取りにあらわれた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしてしまいました。女子高校生は遺体となって発見され、警察の大失敗に世論の非難が集中しました。
捜査にいきづまった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1カ月にわたり警察の留置場(代用監獄)で取り調べ、ウソの自白をさせて、犯人にでっちあげたのです。地域の住民の「あんなことをするのは部落民にちがいない」という差別意識やマスコミの差別報道のなかでえん罪が生み出されてしまったのです。
一審は死刑判決、二審では無期懲役判決が確定。石川さんは、ただちに再審請求を申し立てましたが第一次再審請求はまったく事実調べもなく棄却。再び1986年8月に第二次再審請求を東京高裁に申し立てました。石川さんは再審を求める中、1994年12月仮出獄、31年7ヶ月ぶりに狭山に帰りさらに闘い続けます。なかなか再審の扉は開きません。2006年5月、第3次再審請求、2009年9月から三者協議(裁判官・弁護団・検察)が開かれ、狭山の闘いに光りが差し込みました。そのなかで証拠開示もすすみ、新証拠も明らかになるなかで、再審へ向けての闘いが進められています。
狭山事件で犯人とされた石川一雄さんは無期懲役の判決を受け、32年間の獄中生活を過ごしました。1994年の仮出獄後も、無実を訴え、再審を勝ち取るために闘っています。
この映画は、そんな一雄さんと妻早智子さんの日常に3年間寄り添って描かれたドキュメンタリー映画です。
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狭山事件の再審実現をアピールする為、あらたに製作されたパネル「冤罪・狭山事件50年-再審の扉を開くために」が完成しました。
パネルはA2サイズ、アルミフレーム付きで30枚。
狭山事件について知らない人が見ても、事件の中身、無実を示す証拠、石川さん家族の闘い、司法の問題点に気づき無実を確信できる内容となっています。
県内各地での狭山の取り組みや、文化祭、フェスティバルでのパネル展示に活用ください。
パネルの貸し出し状況はこちらから↓
兵庫県連では、石川一雄さんの無実を訴え、狭山事件を多くの人に知ってもらうため、年に一回啓発グッズを作成しています。